はじめに
近頃は児童生徒の自己肯定感の低さが問題となっており、学校側では
「子供たちの自分らしさを尊重する」
「『子供たちが褒め合う活動』を取り入れるなど、自己肯定感を高める体験を学校でできるようにしなければならない」
「自分も役に立つことができるという体験が大事である」
と耳にたこができるぐらい言われています。
が、本当にそうなのでしょうか?もっと言うと、学校側が意図する「自己肯定感」が歪んでいないと言い切れますか?子供たちに本当に必要なものは何なのでしょうか?ということで、よく教育現場で使われる「自己肯定感」について、思ったことをつらつら書いていきたいと思います。
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ロリポップでブログをはじめる自己肯定感の定義
直接的な意味は読んで字の如く、「自分のことを積極的に受け入れられる感情」ということなのでしょう。
試しにジャパンナレッジで検索してみましたが、まさかの載っていないという。あれだけ声高に喧伝されているのに国語辞典には載っていないのですね。
ちなみに『現代用語の基礎知識』の項目に関連文章として載っていたので引用しておきます。
ひきこもりの当事者は、しばしば「わがまま」「甘え」などと批判されることがあるが、実際にはきわめて自己肯定感が低い人が多い。より正確には「プライドは高いが自信がない」という状態である。それゆえ筆者はひきこもり支援のゴールを「就労」ではなく、「自信の回復」としている。
“自己肯定感【2020】[ひきこもり【2020】]”, 現代用語の基礎知識, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-01-24)
Webで検索するとこんなサイトが出てきました。
自己肯定感とは?自己肯定感とは? – 一般社団法人日本セルフエスティーム普及協会 (self-esteem.or.jp)
こちらのサイトによると、自己肯定感とは「自分を大切に思えるこころの状態」ということみたいです。
学校現場での「自己肯定感」のズレ
さて、その自己肯定感ですが、学校現場では教員の人数に対して生徒が多くなるため、どうしても「自分にも人よりできることがある(優れている)と思える感情」という尺度で捉えている人もいるように感じます。
あとは、ここまで極端ではないですが、「自分も人の役に立てると思える感情」と思っている人もいそうですね。
先に述べた定義と比べてみると、ずいぶん異なっていることが分かると思います。
学校現場で言われる「自己肯定感」は、むしろ「自己有用感」や「自己優越感」といった表現が適切かもしれません。
学校現場での「ズレた自己肯定感を育む活動」への危機感
ここまで学校での自己肯定感の尺度を話してきました。では、なぜ学校で「自己肯定感をはぐぐむ活動ができる」と思ってしまうと危険なのでしょうか。
それは「条件付きの自己優越感は、前提条件がなくなると簡単に自己の存在意義が危うくなるから」なのです。
この「自己肯定感」という皮を被った「自己優越感」が子供たちの中で育つと、
「友達と褒めてあげる自分は“人より優れている”」
「好成績をとれる自分は“人より優れている”」
「得意なことを褒められる自分は“人より優れている”」
「大人が望む行動ができる自分は“人より優れている”」
という、外部からの条件付きで成立する自己肯定感が育ちます。
しかし、
自分に「人より優れている点」がなかったら?ないと感じてしまったら・・・・?
自分が「人の役に立て」なかったら?役立たずだと感じてしまったら・・・・?
自分がしたことを誰も見ていてくれなかったら・・・?
条件付きの自己肯定感は、条件がなくなると簡単に崩れ落ちてしまいます。その崩れ落ちた自信や自己肯定感は、どのようにして取り戻すのでしょう。
改めて自己を再定義していくこころの強さをもっている子達は、また立ち上がっていけることでしょう。
しかし、もしその気力すらなくなってしまっていたら?相手をけなすことで自我を保つのか、関係を絶つことで自我を守るのか、改めて自己を再定義していくのか。
このあまりにも脆い「自己肯定感」、学校生活では順調に作っていけるかもしれませんが、学校以外の場面ではどうでしょうか。あとはもう、言わずもがなですね。
早急に改善していく必要があります。
「フィードバックをもとにして立ち直る練習」が、自分を大切にする第一歩
ここまでで、学校で使われる子供たちの「自己肯定感」の意味づけを「条件付きで褒められて育つ自己優越感」から、「条件なしで自分を大切に思えるこころの状態」へ、シフトしていく必要性があることを文章にまとめてきました。
ここで注意して欲しいのは、この「条件なしで自分を大切に思えるこころの状態」を育てるということは、「周囲の尺度を気にせず、やりたいことだけをすれば良い」というわけではありません。それではただの傍若無人になってしまいます。
周囲からのフィードバックを受けて、うまくいかなかったり納得いかなかったりする自分を「評価してもらえない自分の側面はいらない!」と切り捨てるのではなく、「それも含めて自分だから、よくなる方法を考えよう」というように、状況を受け入れ、改善する練習を学校ですることが大切なのだと私は考えます。
では、「自分を大切に思えるこころの状態」を育てていくには、どのようなことに気をつけていけば良いでしょうか。
まず手っ取り早くできるのは、「条件付けで褒めない」というところでしょうか。
たとえば絵を描いている子供に「上手に描けたね」ではなく、「元気な絵だね。見ているこっちも元気になってきたよ」というような、共感的感想を伝えることがよいみたいですね。
ちなみに褒め方についてはこちらのサイトが詳しいです。
子供を伸ばす褒め方8つのコツとよくある失敗褒め方5パターン | 育ラボ |ママ・パパのための出産・育児情報サイト (iku-labo.jp)
これからの時代を生きていく子供たちは、私達大人が想像もできないような社会を生きていくことになります。今まで以上に、異なる環境や文化で育ってきた人たちとの交流も増えていくことでしょう。
めまぐるしく変化していく時代を、柔軟に生き抜いていくためには、外部からの条件付けによって変動しない「自分を認め、大切だと続ける心」をそだてていくことが大切なのではないでしょうか。
例え失敗しようが、
無謀なチャレンジをしようが、
周囲から笑われようが、
「相手は変だと思うかもしれないけど、自分は大切な存在なんだ」と思えるような社会を作っていくのが、大人達の課題なのかもしれません。
おわりに
私は割とプライドが高い割に自己肯定感が低いタイプなのですが、プライドで虚勢を張ったり、できなかったことを開き直ったりしたり、様々な手段でごまかして今まで乗り越えてきました。
その根本にあったのは、「人からよく思われたい、大人から認めてもらいたい」という周囲の人の気持ち(を自分の中で勝手に思い込んでいた)でした。それに気付けたのは育休中。もっと早く気付きたかったなぁという気持ちが半分と、今気付けてよかったなという気持ちが半分。
えらそうに思ったことをつらつらと書いていますが、まだまだ私は未熟者ですし、この文章は自分の子供と関わるときに気をつけようという防備録の気持ちです。
自己優越感は、自分が人の役に立てる、優れているところがあると感じる気持ち。
自己肯定感は、どんな自分でもここにいて良いと、自分自身を認められる気持ち。
これから履き違えないように気をつけていこうと思いました。
最後までおつきあいいただきありがとうございました。
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