合理的配慮とは何なのか【リハビリテーションモデルからストレングスモデルへ】

teach dice ornament on table 一教員として思うこと
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はじめに

先日、このような記事がweb上で配信されていました。

試験問題にルビ? 学習障害に“合理的配慮”広がる | NHK | WEB特集 | 教育

この動きは、「できないものを少しできる」から、「できるをもっとできる」への転換期が訪れつつあることと関連しているように感じています。今回は合理的配慮について思うことを述べていきたいと思います。

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合理的配慮とは

「合理的配慮」とは、「障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」と定義されている。<https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1297380.htm>

https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/pdf/gouriteki_hairyo/print.pdf

なお、公立学校で想定される具体例としては、個別指導のPCやデジタル教材の使用、クールダウン用の小部屋の用意などが挙げられます。

別紙2 「合理的配慮」の例:文部科学省

歴史を振り返ると

なぜ、この数年で合理的配慮が大きく取り上げられるようになったのでしょうか。そこには時代のあり方が大きな影響を与えています。順番に見ていきましょう。

初期の学校

学制が制定されたのは明治時代です。富国強兵をスローガンとし、西洋列強に負けない国づくりを行うことが大日本帝国の最重要課題でした。その中で日本が資源としたのは「人間」でした。子どもがたくさんいたので、大集団に揉まれることで子ども同士での成長があったり、教員に限らず子どもの周囲には多くの属性や価値観を持った大人がたくさんいました。

そのため、学校現場は「国家を維持するための一定の方向性を教え込む、ついてこれない者は淘汰されるし、まだまだ子どもはたくさんいるから大丈夫」ということで、一定の学力とコモンセンスを教え込むことを目標としていればよかったのでしょう。

さらに戦後、学校教育は大きく変化し、現代とほぼ変わらない形になったものの、「戦後復興」という重要な課題があった時代背景もあり、「平均レベルの知力を備えた復興を後押しできる人材の育成」というスローガンの元、何が何でもできるようにする、詰め込み化、画一化した教育を良しとしておこなっていきました。

現在の学校

しかし、現代は少子化が進み、子どもに関わる大人が減り、価値観が多様化していきました。また、過去の富国強兵を後押しした学校教育の反省から、一定の方向性を示すことを学校がやめたという点もあるかもしれません。

その結果としてかけがえのない「個人」という概念が再認識され、尊重されるようになったととらえることができます。

合理的配慮がすでに行われている特別支援学校

施設の特性上、個人に対して大きくウェイトを置いているのは特別支援学校です。特別支援学校教員免許を取得するために受講した「肢体不自由児の教育」という講義です。

映像教材には、特別支援学校の登校から下校までの1日の様子、子どもたちに配慮された設備、子供たちへの指導の内容などが簡単にまとめられていました。

特別支援学校の映像を見て、特別支援学校で特徴的なのは、一人一人のできることに合わせた学習計画や個別の支援計画の立て方や、支援のしかたです。まさに個人専用、オーダーメイド。様々な障害を持っている子供たちが、その子らしく活動できるように、できないことを補い、安全を確保しながら自分でできる方向に導いていく。相手の感情を受け止めて甘えさせはするけれど、できることをやらせないなどの甘やかしはしない。
免許取得にあたって、介護等体験として支援学校に行かせてもらっていたあの頃は無我夢中でよく分からなかったけれど、今教職に就いてみて、特別支援教育の手厚さがよく分かります。

この支援計画という考え方、「合理的配慮」に似ていますよね。

おわりに

日本の教育が、かつては苦手なものを無理にできるようにするリハビリテーションモデルを採用してきていましたが、時代とともに強みを伸ばして苦手なこと、できないことをフォローしていく方向(ストレングスモデル)にかわりつつあるので、「できないこと」を「できること」でカバーできるようにするために「合理的配慮」という概念が必要となっているのではないかという私見を述べてきました。

欲を言うならば、公立学校にも子供1人あたりに特別支援学校と同じくらい教員が配属されたら、子供のつまずきや戸惑いを見つけやすくなり、声をかけることができて、きめ細かな指導ができるのになぁと考えてしまいました。
そしてこれから先、学校だけでなく社会に出たときにもこれらの配慮が当たり前に行われていく世の中であったら良いなと思ってやみません。

さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。

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