はじめに
今回は奈良県生駒郡平群町にある長屋王墓へ行った体験談です。宮内庁により比定されているため敷地内に入ることはできませんでしたが、栄華を誇った長屋王の墓ということで、印象深い古墳となっています。
こちらへは2022年8月に見学に行っており、少し時間が経ってしまいましたが、改めてまとめていきたいと思います。
長屋王墓(平群町) | 奈良 観光 | 奈良ぶら (kspkk.co.jp)
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長屋王とは
長屋王といえば高市皇子の子で、奈良時代初期に大きな権力を握った皇族の一人です。概要はこちら。
高市皇子の男子。母は天智天皇の皇女。妻は吉備内親王。累進して正二位左大臣となり、藤原氏を抑えて皇親政治を推進したが、讒言により、自邸を官兵に囲まれて自殺した。これは藤原氏の皇親政治に対する反感、特に光明子の立后を策する藤原氏と対立したための犠牲ではないかといわれている。
“ながや‐おう[‥ワウ]【長屋王】”, 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com ,
ちなみに、平安時代初期に編纂された『日本霊異記』では、「おのが高き徳を恃み、賤しき形の沙弥を刑ちて、現に悪死を得る縁」という話で、長屋王が元興寺で大法会をした際に、現れた沙弥(修行が浅い僧侶・もしくは私度僧)を象牙の杓で打った結果、縁起の悪いこととなり、その二日後に讒言によって自害することとなった旨や、自害させた後に骨を海に捨てたところ祟りがあったため、紀伊国の沖の島に祀ったという伝承が記されています。(中巻第一:参考文献『新潮日本古典集成』)
奈良文化財研究所のブログにも記事があります。
もうひとつの「長屋王墓」~『日本霊異記』を歩く2 – なぶんけんブログ (nabunken.go.jp)
行ってみた
公園として整備はされているものの駐車場はほぼないため、邪魔にならないところに車を駐めてからの訪問となりました。

長屋王邸(現在ミ・ナーラ)のような広い立地の所に居を構えていたのに、小規模な墓に埋葬されており、諸行無常を感じました。もっとも、この墓は宮内庁が制定したものであり『日本霊異記』によれば散骨されているということなので、本当に長屋王の墓だという確証はないので、そういうものだと思っておいた方がよさそうです。
奥は見えませんでしたが、綺麗に整備されており、隣には多機能トイレが設置されていました。

帰りには道の駅へぐりにて昼食をとりました。ヘルシーな定食をいただいたのですが、とてもおいしかったです。
おわりに
今回は長屋王墓について、参拝の記録と、長屋王と『日本霊異記』の記事を交えながらまとめていきました。
さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。



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