教員の多忙化とワンオペ育児の共通点から、社会が求める「こうあるべき」を垣間見た

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はじめに

育休中に子どもの世話をしながらふと思ったんです。

あれ・・・育休中なのに仕事みたいなことしてるなぁ・・・・って。

今回は趣向を変えて、堅めの話題です。

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ワンオペ育児という言葉がよく聞かれるようになり、母親達を苦しめてきた母性神話が否定される今日この頃は、数十年前に比べると女性にとって生きやすくなったように思います。

しかし、その一方で「愛情があれば子供を育てられる。それができないのは愛情が足りていないからだ」という母性神話は今も呪いとなり、子育て世代をむしばんでいます。

そして、教員も業務は年々増えていき、「子供たちのため」を免罪符にして、多忙かが進んでいきます。

この二つの問題には、ある共通点があるように思います。

それは「外部から無償の愛(という名の滅私奉公)を強いられている」です。

滅私奉公しないと失格なのか

子供のため、という大義名分の元、当事者以外の人たちから

親であれば

「私達の世代は、自分のことを後回しにしてもっと子供に愛情を注いでいた」

「いやなら生まなければよかったのに」

「仕事も子育てもしようなんて欲張りだ」

「家にいて子供と家庭に全てを注げ」

などという周囲の声や、

教員であれば

「社会に一回も出ずに子供の面倒見てるだけで給料出るんだから、このぐらいはやって当然」

「好きでこの道を選んだんでしょ」

「かわいい子供に囲まれて楽な仕事だね」

などという周囲の声が、当事者に「子供に愛情があるならば自分のことは犠牲にしなければならない」という思いを抱かせ、子育て世代や学校関係者を滅私奉公に向かわせているのではないでしょうか。

もちろん、「子供たちのためなら全てを捧げることが苦にならない」人たちもいると思います。そのことは否定しません。

問題なのは、子育てに関わる人たち全員がその姿勢で当たり前、と思われてしまうことなのです。滅私奉公できないことが失格である、とはとうてい思えないのです。

滅私奉公のルーツ ―明治時代の女子高等師範学校での教員養成を例に

では、いつから子供に関わる滅私奉公は美徳となったのでしょうか。

大学院の学芸員資格取得のための教育史の講義でショッキングだった思い出を紹介しておきます。今だったらこのような言い方はしないでしょうけど、当時の表現としてはこのようなニュアンスでした。現在は多分違った言い方をしていると思います。

それは、

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地方からも優秀な女性が集まってきていた高等師範学校の教員養成において、学校が育てるのは
「高等教育を受け、社会進出する自立した女性」、
そして
「高等教育を受けた上で、いずれ夫や子のために尽くせる良妻賢母となる女性」
という、ダブルスタンダードだった。
教壇に立つことになる師範学校の「高等教育を受けてきた、社会進出する自立した女性」である卒業生は、
勤務校の女生徒たちに対しては「良妻賢母」となるよう、
もっと極端な言い方をすれば「自分のようになってはいけない」と、ある意味矛盾した指導をしなければならなかった。

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というものでした。この「良妻賢母」という思想はいわゆる封建的、儒教的な思想による物でしょう。

詳細はこちらの論文からご覧いただけます。

「明治・大正期の女子高等教育機関における社会教育―東京女子高等師範学校を事例にして―」槇石多希子  ja (jst.go.jp)

ちなみに制度開始時点の女性教員の賃金は男性に対して8割程度でした。女性が男性と同じ職種で職業進出できていたと考えると、幾ばくか先進的だったと言えるのかもしれませんが、「本来なら良妻賢母にならねばならぬ女性を働かせてやっているんだから、給料が安くても仕方ない」という発想が見え隠れしている気もしてしまいますね。時期ごとの男女比の変遷はこちらの論文のP21に資料がありました。

斉藤秦雄「近代的教職像の確立と変遷―日本の経験」『国際教育協力論集』第17巻 第1号2014 JICE_17-1_17.pdf (hiroshima-u.ac.jp)

現代の小学校教員の男女比

話を現代に戻します。

「小学校の担任の先生」を思い浮かべるとき、出てくる人が女性の人は結構多いのではないでしょうか。では、「校長先生」だとどうでしょう?高齢の男性を思い浮かべてしまいますね。

実際、現在の小学校教諭の男女比は以下のサイトの通りです。

I-特-13図 本務教員総数に占める女性の割合(教育段階別,平成30(2018)年度) | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)

中高にあがると一気に男女の割合は逆転します。

小学校の担任をしていると、授業もさることながらどちらかというと生活のスキルを指導したり、集団行動の指導をしたりという仕事の量の方が多く感じます。この観点から考えると、教育分野の中でも、より基本的な生活指導に関わる幼稚園・小学校の教員が女性の割合が高いことと、「育児の担当は母親、父親は課長として振る舞っておけば良い」という発想がかつてあったということとは、根深いところで関係がありそうですね。

参考 第2節 進路選択に至る女子の状況と多様な進路選択を可能とするための取組 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)

第12章.pdf

まとめ

長くなりましたが、私見を要約すると以下の通りです。

・教員も子育て世代も、「子供のため」という名目で社会から滅私奉公を強いられている点では共通している。

・教員の歴史を振り返ると、「女性は滅私奉公をして当たり前という教育をすべきだ」という潮流がかつてあった。この思想はだいぶ薄れてきたものの、まだまだ根深く残っていて、それが結果として教員の男女比率のばらつきや、子供に関わる職種が滅私奉公的な働き方を期待される要素として絡んできているのではなかろうか。

おわりに

無償の愛という名の滅私奉公はいずれ破綻します。精神的にも身体的にも余裕がないと、子供の世話はできません。

育児では、子供の身の安全を確保しつつ、自分が楽な方法を考える。
仕事では、第一目標は基本的な生活指導なのか、勉強を教えるなのか。どのラインまでなら関与できるのか。

このバランスをとりながら日本の学校教育や子育て政策は変わらなければならないところまできているのではないでしょうか。
さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。

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