はじめに
今回は生成AIの取り扱いと学校現場でのあり方についてです。
ChatGPTがもてはやされ、AIの力を借りて調べ物をしたり、絵を描いたりする人々が増えた今日は、まさに近未来の様相を呈しています。
AIに質問をすれば何でも教えてもらえる未来がすぐそこに来ている世の中で、学校の存在意義も問われているように感じます。今後どのような状況が起きていくかを考えてみました。
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不安定なAIを、不安定な子どもが使うリスク
AIは様々な言葉を駆使して要約したり言い換えたりすることは得意ですが、何もないところから情報を組み合わせて形にしていくことは苦手で、情報の信憑性も低いので注意が必要です。そこで、大人はAIから得た情報を吟味し、取捨選択した上で活用することができます。
参考記事:AIが台頭しても、人間にしかできない学校の役割は必ずあるのではないかと気付いた話
しかし、答えをすぐ出すことを求められる世の中で育ったいわゆるデジタルネイティブ世代は、まだ人生経験が少ないが故に情報の取捨選択や善悪の区別などがつかず、情報を鵜呑みにしてしまったり、悪気なく人を傷つける行動をとってしまうリスクがあります。
問われるAI使用者の倫理
この状況下で問われてくるのが、AIを使用するものの倫理観です。もっと簡単に言ってしまえば、自制心、自分で「これ以上は続けたらまずいので一旦止まろう」と思える力です。
少子化が進み、大人に囲まれて育っている子どもたちは、危ないことをしたときに自分で判断して立ち止まるよりも先に、大人達に制止してもらえます。それがかえって「止められたらやめたらいいんだ、止められなかったら飽きるまで続けて良いんだ」という学習に結びついてしまい、さらにエスカレートすると「周りに止められなかったから悪いことを続けていたんだ」「やっているのを止めてくれなかった周囲の人が悪いんだ」という発想につながっていきかねない状況がすぐそこまで近づいてきています。
学校の役割は倫理観の育成
この状況を鑑みるに、もはや学校現場ではいわゆる「勉強」を教えることは求められていないのかもしれません。
今の社会に求められているのは、個人を結びつけ、集団として成立できるコモンセンス(暗黙のルール)、集団として機能するための倫理を養う場なのではないでしょうか。勉学の側面ではなく、社会的スキルを身につけることで、学校現場では「可能性の陶冶」を行うことができ、「これ以上進んだら人としてまずいからやめよう」と止められる力を身につけることができるのではと考えます。
さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。
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