ペリー暗殺を企てた徳川斉昭に思う茨城の県民性【筋を通したがる気風】

歴史学
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はじめに

今回は久しぶりに茨城県ネタです。

少し前に、「徳川斉昭が実はペリーの暗殺をもくろんでいたことを示す書簡が発見された」というニュースが流れました。歴史マニアの間では驚きはあるものの、「やっぱりそう思ってたかぁ、やると思ってたんだよなぁ」という二つの感想で埋め尽くされていたのではないでしょうか。

「酒をたっぷり飲ませて頭をはね」水戸藩主・徳川斉昭がペリー抹殺計画か…書簡16点発見
【読売新聞】 岡山県倉敷市の旧家で、幕末に攘夷を主導した水戸藩主・徳川斉昭の未発見の書簡16点が見つかった。腹心の藩士で、水戸学の思想家・藤田東湖とやり取りしたもので、来航したペリーら米国の使節団の殺害方法などを詳細に相談する内容と

ナチュラルに「酒を飲ませて頭をはねる」だの「焼き殺す」だのと城主が腹心の部下に話しているあたり、だいぶ過激な様子がうかがえます。今回はそんな徳川斉昭に思いを馳せつつ、茨城の気風について考えてみたいと思います。

※もちろん、全ての人にこの傾向があるとは言いません。あくまでパロディとしてご覧ください。

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徳川斉昭とは

辞書には以下のように記載されています。

江戸末期の水戸藩主。藤田東湖らを登用して藩政を改革。尊王攘夷論者で、井伊直弼(いいなおすけ)と対立。安政の大獄で蟄居(ちっきょ)を命ぜられた。水戸烈公。

“とくがわ‐なりあき【徳川斉昭】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge,

ざっくり説明しますと、全国的に知名度の高い徳川光圀(水戸黄門)の子孫で、江戸時代最後の将軍である徳川慶喜の父親にあたります。蝦夷地探検を計画したり、弘道館という藩校を作ったり、廃仏毀釈をいち早く実施するなど急進的な改革を行いました。しかし、その水戸藩独自の路線が幕府の反感を買い、人生で2回蟄居(自宅謹慎)を言い渡されています。そんな中で今回ペリー暗殺をもくろんでいたことが分かりました。

そんな激しい人だったので、死後の諡は「烈公」です。苛烈ですね。

浮かんでくる茨城の気風

県民性ブームがあった2010年台中盤頃にプレジデントではこのような記事が書かれていました。

茨城県民――他人と相容れない「三ぽい」気質は、きついなまりが原因か
怒りっぽい、忘れっぽい、飽きっぽい、茨城県民。運転マナーの悪さにもその気質が表れている。小さなことにこだわらないのが良いところ。

この記事に出てくる茨城の県民性、特に北部地域ですが、なんだか徳川斉昭とだぶる部分があるのではないでしょうか。

理屈を尊び、筋を通す県民性は、周りを見渡すと茨城には多く見られるように感じます。
参考・・・子連れで常陸国出雲大社へ参拝した体験談【茨城の県民性漂う新しい神社】

おわりに

今回は茨城の県民性について徳川斉昭とからめてまとめてみました。
理屈を尊び、筋を通そうとするあまり、他の地域から見ると勢いが強いものとなってしまう側面は、もしかすると気風として継承されているのかもしれないと思います。

さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。

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