教育現場の「国語力の低下」は、多様性を妨げていくのではないかという話

teach dice ornament on table 独り言
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はじめに

夏の初めに、こんな記事がオンラインで配信され、物議を醸しました。『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状 | 文春オンライン (bunshun.jp)

今回はこの記事を読んでの感想をまとめていきたいと思います。
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そもそも「国語力」とは?

この文章を読んでまず抱いた感想は、国語力の定義が、教育従事者と非教育従事者で異なっているんだなという点です。筆者のいう国語力は、学校現場で使われている、語彙力や、言葉を理解する力、書き手の意図を読み取る力を指す「国語力」という使い方をしているわけではなく、「一般的な文章の捉え方」といういわば「国語力=コモンセンス」という解釈に感じました。

文中で使われるごんぎつねの例えで言えば、子どもたちはしっかりと兵十が葬式の最中に鍋でぐつぐつ何かを煮ている様子が読み取れています。

この場面の授業で押さえなければならないのは

「昔はお葬式を家でしていたんだね。たった一人で準備もして、お客さんをたくさん呼んでいるし、お葬式は長い時間かかるからご飯も用意しないとならないんだね。兵十は悲しみの中にいるのに忙しく働いていて大変そうだ。その兵十の様子をごんぎつねはじっと見ているんだね。どんな気持ちで見ていたんだろう?」

というところであり、鍋で何を煮ているかという問いの答えが的外れであったことは、極端に言ってしまえば「現場ではよくある話」だと思います。

今は自宅で葬式をすることの方が珍しいでしょうし、仕出し弁当もあるので、食事の用意などをする機会はほぼないに等しいでしょう。物語中に出てくる社会を形成する暗黙の了解(コモンセンス)の認識が、現代の子どもたち継承されていない結果として、とんちんかんな回答が帰ってくるのではないでしょうか。

現場で感じる国語力の低下

では、現場で感じる小学校低学年の語彙力の低下には、具体的にどのようなものがあるかと言いますと、多くは「物語の本質が捉えられない」という点に集約されます。

たとえば、桃太郎と金太郎を読み聞かせても、「おじいさん、おばあさんって何歳なの」という質問がたくさんあるだけで「子どもが仲間を従えて鬼を倒す、というところがこの二つは似ているな」と思えない、とか、

くものくじらが登場する有名な話を読んでも「雲にのることなんかできないし、くじらがしゃべるわけがないので話の意味がわからない」という反応が返ってくる・・・エピソードは数知れずです。

言葉が軽んじられる世の中は、多様性に逆行していく

この不安定な社会を生き抜くことになる子どもたちは、ナンバーワンになるよりもオンリーワンになることを求められ、それを良しとして家庭教育を受け、学校に来ています。従って、自分を取り巻く環境と、自分が把握していれば良い情報は、大人が想像している以上に範囲が狭いものなのだと思います。そして、それは「自分が理解できない情報は関係ないものとして切り捨てていく」ことにつながっていきます。

それが結果として、周囲の出来事を「自分事」として捉えられない、先生がクラス全体に向かって話していても、子どもたちにとってそれは「自分の世界には関係がないこと」となり、切り捨てること、すなわち意思の疎通が難しくなることにつながるのではないでしょうか。

おわりに

学校で必要なことは学力の向上とよく言われますが、現状を鑑みるにまずは集団生活のありかた、意思疎通の取り方という、以前は家庭で行われていた部分からのフォローアップが必要なのでしょうね。

さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。

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