インクルージブ教育の推進を、日本の歴史から考えてみた

teach dice ornament on table 教育について
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はじめに

先日、こんな発表が国連から出ました。

国連が日本政府に勧告「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」(野口晃菜) – 個人 – Yahoo!ニュース

特別支援学級・学校ではなく、同じ教育現場で教育を受けられるようにするべきだ、という勧告です。しかし、文科省では分離教育の中止を考えていないという反応です。

特別支援教育「中止は考えていない」 永岡文科相、国連勧告で表明 | 教育新聞 (kyobun.co.jp)

今回はこのことについて、過去を振り返りながら考えてみたいと思います。

公認心理師についてはこちら・・・
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教育関係の記事はこちら・・・
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子連れ旅はこちら・・・
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回り道体験談はこちら・・・
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インクルージブ教育とは

「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害のある方々などが、積極的に参加・貢献していくことができる社会です。誰もが互いに人格と個性を尊重し支え合い、様々な人が生き生きと活躍できる全員参加型の社会を実現することは、個人の幸福の観点はもちろん、私たちの社会全体にとってもプラスとなります。共生社会の形成に向けて、現在、各分野において様々な取組が積極的に進められています。教育分野においては、インクルーシブ教育システム構築のため、特別支援教育を推進しています。

https://www.mext.go.jp/inclusive-raintree/inclusive-education.htm

こちらも詳しいです。共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告):文部科学省 (mext.go.jp)

メリットは、多様性のある環境に幼少期から置かれることで人権意識が育つこと、デメリットは教員の業務に多くの負担がかかることと、一斉教授法がまだまだ一般的な現在の環境では、学力の向上が損なわれる可能性があるという危機感です。

個別化から、集団を尊ぶ日本の教育へ

現在行われている一斉教授法のルーツはいったいどこからきているのでしょうか。

現在学校で行われている教育に関する歴史を振り返ると、明治以前は身分制度に基づき、庶民は寺子屋、武士階級は藩校というように教育システム自体が分かれていました。そこでは、現在の異学齢交流のような授業が行われており、ある意味個別化されていました。

それが大きく変化したのは明治期に学制が敷かれてからのこととなります。富国強兵を目指していた明治時代、華族、氏族、平民という身分制度はあったものの、大多数を占める平民をどのように位置づけるのかが肝でした。そして徴兵制が敷かれるようにもなり,日本の国を支えていく平民は「均一に高い能力を持ち、上の考えに従順な人間」の育成が求められるようになりました。

そこで行われたのが一斉教授による授業です。均一な授業で同じ知識を教授できることはメリットですが、うまく適応できない場合もあります。しかし、当時の人口ピラミッドは綺麗な三角形を描いており、人材は大量にいたのでドロップアウトの人数を気にかけず、画一的な人間を育成できていればよかったと考えることができます。

現在求められる人材の育成は

現在はどうでしょうか。少子化が進み、多様性が歌われる世の中では、画一的な教育はもはやそぐわないのかもしれません。しかし、少子化が進んでもなお、教育現場ではつまづく子どもたちをそのままにしてきてしまいました。その結果として、「ここまではコモンセンスとして持ち合わせていて欲しい」という部分からの取りこぼしが多く見られ、「公教育の崩壊」が叫ばれる世の中となってしまいました。

一斉教授法と個別学習の共存はできるのか

では、果たして今までの公教育で良しとされてきた教育から、インクルージブ教育へシフトするために何ができるのでしょうか。考えたときに、思い浮かんだのは免許取得時の介護等体験でした。

暑い中汗をかきながら学校に通ったなぁ、とか、

スーツで出かけて、速攻でジャージに着替えたなぁ、という懐かしい思い出の他に、

ちょうど宿泊学習の事前説明会があって、保護者からお話を聞けたな、とか、

生きることの尊さや、学びの多様性。

段差のない、平屋に近い校舎、たくさんの先生達に囲まれて過ごす子供たち。保護者との距離の近さ…………。あの頃は無我夢中でよく分からなかったけれど、今教職に就いてみて、特別支援教育の手厚さがよく分かります。

特別支援学校で特徴的なのは、まさにオーダーメイドともいえる、一人一人のできることに合わせた学習計画の立て方や、支援のしかたです。安全を確保しながら、様々な障害を持っている子供たちが、その子らしく活動できるように、できないことを補い、自分でできる方向に導いていく。現場の先生が子どもたちのことを把握し、子どもたちができることに応じてさらにできることを増やしていくという発想の転換。

無理なこととは分かっていても、公立学校にも子供1人あたりに特別支援学校と同じくらい教員が配属されたら、子供のつまずきや戸惑いを見つけやすくなり、声をかけることができて、きめ細かな指導ができるのになぁと考えずにはいられません。

おわりに

確かに、多様性を求める時代に一斉教授はそぐわないのかもしれません。しかし、コモンセンス(共通理解)を育てていくためには、一斉教授も必要なものなのです。
そんな中でインクルージブ教育を推進するのであれば、特別支援学校のように、クラスあたりの教員を増やして習熟度別にでもしない限り、その取り組みは絵に描いた餅となり、現場は疲弊するばかりでしょう。子どもに対する甘やかし(子どもは困っていないけれど、よかれと思って大人が手をさしのべる)ではなく、配慮(子どもが困っている場面を大人がくみ取り、支援をしていく)を必要としているのが今の教育の現場なのかもしれません。

さいごまでおつきあいいただきありがとうございました。

その他教育についてはこちら一教員として思うこと

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